家族と私と本と。

日常のつれづれと読書の記録

日本に階級はあるか

 

 

著者によると、イギリスのアフタヌーンティーは日本の茶道と同じように細かいマナーがあり、階級ごとに微妙に違っていて、紅茶を飲む姿を見ればどこに属するかがわかるほどであるらしい。その階級に左右される部分は「一億総中流」と言われる私たち日本人にとって理解しにくい、とのこと。

この一文を読み、夫に聞いてみた。

「日本に階級がないと思う?」

答えは即答で「No」。私も同感。

もし、本気で著者が日本に階級がないと信じているのだとしたら、相当な世間知らずか学のない人と言わざるをえない。

もちろん、イギリスの階級制度とは性質が異なるけれど、皇室以外に特権階級の人々は存在するし、逆に貧困層もあり、他にも微妙なクラス(階級)に分かれている。

例えば、今はみんながお金さえ出せば大学に通える時代だけれど、それも費用を親に負担してもらえるのか自分で奨学金を背負わなければいけないのかで家庭事情は全然違う。私の通った女子大はお嬢様学校だったのだけれど、卒業式には差がよくあらわれていた。この日のために実家出入りの呉服屋で仕立てた着物と袴で出席し、その後の謝恩会ではフルレングスのマイパーティードレスを着て運転手つきの車で現れた子もいれば、自前の振袖を着て袴はレンタル、謝恩会は結婚式でよく見るカクテルドレスの子もいた。着物は全部レンタルでドレスは友達に借りたとか、卒業式は就職活動用のスーツ、謝恩会は普段着のワンピース姿もあった。

この光景をしみじみと眺めながら、自分は運転手付きの自家用車に乗ることはこの先もないだろうな、と妙に冷静に考えたのを覚えている。

一億総中流が謳われたのは昭和。今はもう令和で、それだけ世の中も変わった。

私は子育てに励む世情に疎い一介の主婦なので、社会問題に切り込むつもりはないけれど、著者はしのびより、ますますはっきり分かれつつある格差に気づかないほど裕福な暮らしをしているんだろうと思うと、そう能天気でいられることに少しやきもちをやいてしまった。

 

もともとこの本は、自分のスキルのブラッシュアップと子供の躾のために読んだのだけど、そういう意味ではとても有意義だった。

子供が大きくなるにつれて、母親同士の交流もできてきて、昔からの友達も結婚して家庭もちになると、招んだり招ばれたりが増える。そうなると、気になるのがおもてなしともてなされるがわのマナー。

ある程度は実家の母に仕込まれているものの、再確認しておかなければ子供にも教えられない。

マナー本はくせもので、いいかげんな作法をさもそれらしく書いてあるものも多い。フレンチ、懐石、冠婚葬祭等テーマを絞って本を選ぶと失敗しない。

ふむふむ、アフタヌーンティーのお作法はよくわかったし、これでいつエリザベス女王からお声がかかってもだいじょうぶ。

でも普段友人知人とお茶を飲むとき、私はきっとティーカップは指を揃えず取っ手にひっかけて持つだろう。

それが正式なマナーと知っていても、あんまり上品ぶっている、気取っている、そんな御大層な家の出身でもないくせにと思われてしまうから。

それがこの日本で、私の属している階級なのだ。