家族と私と本と。

日常のつれづれと読書の記録

『彼女たちの場合は』 江國香織

14歳の礼那と17歳の逸佳はいとこ同士の女の子で、不登校の逸佳は父の転勤でアメリカにいる礼那一家宅で居候中。

仲良しの2人はある秋の日、”アメリカを見る旅”という名の、早い話が家出します。

2人は逸佳の親のクレジットカードを使ってやりたい放題。

高級ホテルに泊まり、食べたいものを食べ、長距離バスや鉄道を乗り継ぎ、カードを止められるとヒッチハイクしたりバイトをしたりして、目的を達するまで旅を続けます。

 

これを読んだ最初の感想は、「こういう旅には憧れなくもないけれど、少なくともアメリカでやろうとは思わないな」でした。

逸佳は物語の中で、しょっちゅう礼那をホテルの部屋において散歩に出かけるけれど、片方を部屋に置いてきぼりにするのも、女の子一人で早朝や夜に出歩くのも、アメリカという国では危険すぎます。

食べ物の描写もいかにも美味しそうだけれど、ハワイで食べたアメリカの食事はお世辞にも美味しいと言えなかったので、いまいち信用できないし。

でも物語全体に漂う若さと若さゆえの愛すべき浅はかさ、体力、フットワークの軽さ、思い切り、食欲、敏感さなどはとても眩しくて、自分が失ったものを思い出しました。

主人公の少女2人の両親たちは全員40代後半あたりで、モラハラ親父と病んだ母親に、自由主義すぎる能天気な両親という組み合わせ。これから自分も向かう道だとしても同じようには到底なれないようなキャラクターなのだけれど、もし我が子が同じようなことをしでかしたら冷静に見守れるのかしらと思いました。

おそらく、きっと、いや確実に無理。

クレジットカードの使用履歴から割り出した情報をもとに、国内外問わず子供の居場所を見つけ出し、警察も友人も親戚も総動員でとっ捕まえてひきずって帰るに違いありません。

でも、夫は学生時代から何度も一人旅しており、私自身は小学生のときから家を出たいと願っていた、わがままで自立心のある子供でした。

そんな両親をもつ子どもたちが大人しくしているとは考えにくく、こうなればもう身を守る方法とか、危険を回避する方法を教えていくしかないなという結論に達したのでした。