家族と私と本と。

日常のつれづれと読書の記録

梅雨明け

前回近況を書いた記事が3月。

早いもので、春が来て、初夏が来て、梅雨がもう明けようとしています。

3月からこっち、子どもたちの進級や、それにまつわる学校行事やママ友との付き合い、自分が新しく始めたことや、家族の行事等で予定がつまっていました。

人間ドックで引っ掛かり、一時は腫瘍を疑い精密検査を受けたことや、(結果は大丈夫でした)祖父がコロナに感染し、回復した喜びもつかぬ間、弱ってしまった身体は元に戻らず亡くなってしまったこともあり、感情の振れ幅も大きい数ヶ月でした。

特に祖父のことは、何かあるたびに、「ああ、もういないんだ」と思いだしてしまい、とても心細く、冷水をかけられたような気持ちになります。

逮夜毎に祖父宅に親族で集まり、お経をあげていますが、最近、この節目ごとの法要は、亡くなった人のためでもあるのだろうけれど、遺族が死を受け入れ、徐々に前向きに生きるための時間なのだと思うようになりました。

これから夏に向け、昨年亡くなった義祖母の法要や祖父の初盆、遺品整理等まだまだやることはありますが、ちょっと一呼吸おく時間ができたので、まずは荒れ果てた家の中から片付けたいです。また病気を疑うような出来事もあったので、自分の生活や身辺を一度整理したり、家族の関係や子供の教育について考える時間を持とうと思います。

『彼女たちの場合は』 江國香織

14歳の礼那と17歳の逸佳はいとこ同士の女の子で、不登校の逸佳は父の転勤でアメリカにいる礼那一家宅で居候中。

仲良しの2人はある秋の日、”アメリカを見る旅”という名の、早い話が家出します。

2人は逸佳の親のクレジットカードを使ってやりたい放題。

高級ホテルに泊まり、食べたいものを食べ、長距離バスや鉄道を乗り継ぎ、カードを止められるとヒッチハイクしたりバイトをしたりして、目的を達するまで旅を続けます。

 

これを読んだ最初の感想は、「こういう旅には憧れなくもないけれど、少なくともアメリカでやろうとは思わないな」でした。

逸佳は物語の中で、しょっちゅう礼那をホテルの部屋において散歩に出かけるけれど、片方を部屋に置いてきぼりにするのも、女の子一人で早朝や夜に出歩くのも、アメリカという国では危険すぎます。

食べ物の描写もいかにも美味しそうだけれど、ハワイで食べたアメリカの食事はお世辞にも美味しいと言えなかったので、いまいち信用できないし。

でも物語全体に漂う若さと若さゆえの愛すべき浅はかさ、体力、フットワークの軽さ、思い切り、食欲、敏感さなどはとても眩しくて、自分が失ったものを思い出しました。

主人公の少女2人の両親たちは全員40代後半あたりで、モラハラ親父と病んだ母親に、自由主義すぎる能天気な両親という組み合わせ。これから自分も向かう道だとしても同じようには到底なれないようなキャラクターなのだけれど、もし我が子が同じようなことをしでかしたら冷静に見守れるのかしらと思いました。

おそらく、きっと、いや確実に無理。

クレジットカードの使用履歴から割り出した情報をもとに、国内外問わず子供の居場所を見つけ出し、警察も友人も親戚も総動員でとっ捕まえてひきずって帰るに違いありません。

でも、夫は学生時代から何度も一人旅しており、私自身は小学生のときから家を出たいと願っていた、わがままで自立心のある子供でした。

そんな両親をもつ子どもたちが大人しくしているとは考えにくく、こうなればもう身を守る方法とか、危険を回避する方法を教えていくしかないなという結論に達したのでした。

 

黄泉の帝王を観に行きたい。

大好きなミュージカル『エリザベート』の公演が決まり、やきもきしています。

ハプスブルク帝国末期のフランツ・ヨーゼフ1世皇妃、エリーザベトの生涯をテーマに、死神と彼女の恋を描くという荒唐無稽な物語。でも音楽がとにかく素晴らしいし、そもそもリアリティなんぞ舞台に求めてはいけません。

今年秋の帝劇でやる山崎育三郎トート(死神)バージョンを観に行きたいけれど、チケット入手は恐らく至難の業な上、まだまだコロナが流行っている可能性もあり、未就学児もいての観劇はハードルが高いです。

昔宝塚にハマっていたころ、チケット入手はお手の物でした。

最初は宝塚に連れて行ってくれたヅカファンの先輩に取り方を教えてもらったのですが、そのうち自分で人脈を広げ、ファンクラブにコネのある方と仲良くなってものすごい人気公演の最前列ど真ん中を確保したり、ファンクラブイベントにもぐりこんで当時のトップスターと写真を撮っていただいたりとヅカファン生活を満喫しました。

あの世界は一つ踏み間違えるとお金も時間も友達も失ってしまうので、付き合い方に注意が必要です。私は2年余りどっぷりと浸り、彼氏もおらず仕事のノルマで死にかけだったメンタルを救ってもらいました。当時贔屓にしていた方が全員退団したので一緒にヅカファンも会社も”卒業”し、転職して婚活に専念、現在に至ります。

そのとき培ったチケット入手術は、今ではもう発揮できない能力です。

どの公演にもチケットの波というか、流れみたいなものがあり、もう少しでいい席が流通サイトに出てくるとか、この辺で手をうっておくべきだとかが当時はよくわかっていて、コスパよく月に5~6回も観劇できていました。

買い時を逃さないためには株式投資ばりにしょっちゅうあちこちのサイトをチェックして見比べなければならないので、牛乳をひっくり返したり、トイレが間に合うかぎりぎりでおしりをおさえて走る少年がいては無理な話です。この際どんな席でもと言いたいところですが、帝劇は遠いしチケット代もいいお値段なのでどうせならいい席で見たい・・・。

もう少し、入手方法を模索してみようと思います。

余談ですが、タカラヅカのチケットはトップスターの人気や演目、演出家によって入手難易度が違い、いろいろ考慮すべき条件があります。

例えばB組の㈯㈰公演を見たい場合。

土曜日朝は地方からの遠征組がまだ到着してないので、㈯午前公演は午後より空いている、とか、A組トップスターのファンイベントが○日㈯15時からで、退団したB組前トップスター主演の舞台が近隣の劇場で○日㈯16時上演でそちらに流れるファンがいて○日に限ってはB組㈯午後公演が穴場、や、ファンクラブの会総見や組総見(ファンクラブ全員で観劇する)があるのでその日のチケットは買い占められているとか、企業の貸切公演チケットが当たるとチケットサイトで良い条件で交換してもらえる、などさまざまな情報と状況を加味して入手しないといけません。(※企業の貸切公演はその時しか見れないオリジナルのアドリブがあるので人気です)

恐らく劇団四季や松竹やら他の舞台にも、似たような内情が大なり小なりあるのがわかるだけに観劇に二の足を踏むこともあります。

初めて花組のファンクラブ組総見に(宝塚の生徒さんにはそれぞれ私的なファンクラブがあり、花組の全てのファンクラブの全会員がいっせいに観劇する日)紛れ込んでしまったときは、拍手のルールも知らず、周りから怪訝そうな目で見られ居たたまれない思いをしました。普通組総見の日はなかなかチケットが取れないのですが、何の縁だかそのときはたまたまわりと良い席が取れてしまったのでした。ヅカファン生活も後半に差し掛かるころには、観客席の観察まで楽しめるくらいでしたが、初期のころはそんな余裕はありませんでした。

ちなみに総見の日も特別なアドリブがあって、それはそれでラッキー感を味わえます。

懐かしいなあ。

宝塚もまた見に行きたいです。

 

 

 

 

去年と同じ日に。

何と、去年と同じ日に今年初のブログ更新です。

姫始めの日まで一緒。

やっぱり1月はなんだかんだとやることの多い月です。

だからというわけではないけれど、バレンタインチョコの手配が遅れ、買おうと思っていたクラブハリエのチョコレートバームクーヘンが売り切れでした。

最初にチェックしたときはまだ在庫があったのに、他も見てみようなどと欲を出したのがいけませんでした。来年は即購入します。

バレンタインデー。

職場で贈る義理チョコは悪しき習慣と言われますが、20代のとき働いていた2つの会社では毎年恒例行事で特に不満もありませんでした。

女子社員が合同で上司たちに(所属長と部長、役員クラスぐらいまで)贈るチョコレートを買いにいくのは後輩の仕事で、先輩達に予算をきき、早くからHPを見たり百貨店のパンフレットなど集めて検討し、バレンタインイベントへ下見に行き、候補を絞って購入、精算して。。。

面倒くさいしお給料出ないし業務ではないと言われたらそのとおりだけれど、社会に出て間もない頃のあの経験は、物の価値や社内の人間関係、贈答の礼儀等を知るプライスレスな経験でした。ちゃっかりプライベート用チョコの下見もして、イベント会場で試食までさせてもらい、楽しかったです。

ホワイトデーにお返しもいただいていたので、それも不満がなかった遠因かもしれないけれど、日常に膿みがちな会社員生活でいい刺激になっていました。

特に転職先の上司達のお返しは毎年の楽しみで、有名コスメブランドのハンドクリームセットや手に入りにくいチョコレート専門店のお菓子等、多少理不尽なことがあっても頑張って勤めようという気にさせられる豪華なラインナップでした。

今思えば、無理難題ふっかけられがちな内勤女性社員たちへのご機嫌取りだったのでしょうが、そんなお返しひとつで1年ゴキゲンに働ける女性が集まっていたあの会社は、間違いなく良い職場です。

不思議なのは、お義理丸わかりのチョコレートでも、上司達が皆一様にうれしそうにお礼を言ってくれていたことで、今となってはお返しを考えるのも大変だっただろうと思います。

学生の頃アルバイトしていた婦人小物売り場では、ホワイトデー前になると必ずおじさんたちが居心地悪そうにハンカチだのポーチだのを探しに来ていました。

レジに持ってこられるお返したちはどれもなんとも言えない花柄やレースやフリル満載のものが多く、「女子はこういうのが好きなんだろう」というイメージだけで選んでいるのだろうけど、もう少しリサーチしてから買いにくればお互い(本人も、店員の私も、それを贈られる女性も)ウンザリせずにすむのにと毎年思っていました。

我が家のホワイトデーは、数年前からリクエストすることにしています。

具体的な物の指定はしませんが、おいしいケーキが食べたいとか、ちょっとリッチな毎日のおやつになるような焼き菓子が欲しいとか。

一度何も言わないでいたら、意表を突くプレゼントをもらいました。

一生懸命考えてくれた気持ちは確かに本気でありがたいけれど、できれば自分の欲しいもののほうが嬉しいし、頭が恋でいっぱいのお花畑でもないのが結婚8年目のリアルなのです。

 

これが今年最後かも?

最後の記事が9/30。
そこからますます忙しくなるとは、予想できてませんでした。
忙しいアピールなようで嫌だけど、要は自分のキャパシティを超えてるんだと思います。
子どもが四人いて自営のお手伝いしてるママは、私より多忙なはずだけどきちんとされてるし。

あれからコロナが落ち着くにつれ夫は通常出勤が増え、子どもの誕生日、ハロウィン、運動会やら音楽会やら幼稚園のイベント、七五三、遺品整理、かわりばんこに体調を崩す家族等々。
盛りだくさんな2ヶ月でした。

夫とは関係良好なものの、2人とも疲労困憊と若干のマンネリ化でペースも落ち気味。
脱却しようとホテルに行ってみたりしましたが、適当に入ると設備の適当さが目について落ち着かず、もうそんなところで盛り上がるのは難しい歳なのかもねと言い合いました。
でも、年金受給日の翌日はどこもいっぱいという説もあるし、単にマンネリなだけかもしれません。
逆に満足度が高かったのは意外にも家で、最近寝室でするのが皆無だからか、ベッドで昼休みの時間のみというのが何とも言えず甘美でした。
内容としてはいつもどおりな上、時間は短いくらいだから、シチュエーションは大事なんだと思います。
不倫カップルってそういう感じなのかも。

また最近友人の赤ちゃんと姪っ子三ヶ月が可愛すぎて、子ども欲しい熱が再燃。
3人目を考えるなら年齢的にもそろそろぎりぎりなのでもう一度真剣に話し合いましたが、やっぱり無理だという結論になりました。

本気でミレーナを検討する時期にきたのかな。
一度産婦人科で相談したら、医師に
「避妊にもなるけど、別にもうひとり増えてもいいでしょ?」
と聞かれ、いいけど、そういう問題じゃないんだよ。。先生。
費用は5万円だそうです。

いつのまにか夏が終わっていました。

すっかり間があいてしまったけれど、この3ヶ月は精神的に余裕のない日々でした。

時間が合っても文章を書こうという気になれず。

娘の頻繁な忘れ物に気をもんだり、コロナの感染状況を憂えたり(息子の幼稚園が休園)、義祖母が亡くなって夫が唯一の身内のため法要はじめ、いろいろな手続きに追われたり、姪が生まれて産後のお世話に駆り出されたり、親友Aが離婚したり、親友Bに2人めが生まれたり、仕事が大量に舞い込んできてソファで寝る生活が続いたり。

中でも3番目の義祖母の件は、親世代が担う役割を果たさなくてはならなかったので、慣れないことばかりで緊張の連続でした。主体はもちろん夫でしたが、サポート役が妻なのは当然なので役割分担。親族会議からはじまり、葬儀の件、その後に続く法要の件、年金停止やらライフラインの名義変更と支払い、各種銀行口座や保険の解約など役所手続き関係、お寺さんへの連絡、10年近く空き家だった祖母宅の掃除、整理等々。

先日7回の逮夜法要と四十九日法要、納骨が終わって一区切りつき、姪一家も里帰りを終えて自宅へ戻り、コロナもすこし落ち着いてきてやっと一息つけそうです。

世間をみてみると、ワクチン接種者は半数を超す勢いだし、オリンピックはいつのまにか終わってるし、眞子さまは本当の本当にあの方と結婚するおつもりのようだし(正気とは思えない)、新しい自民党総裁は岸田さんだし、何より、夏が終わってしまっていました。

気分転換に本をたくさん読んだので、またゆっくり感想を書きたいと思います。

 

 

 

香りと音楽の記憶

去年「香水」という曲が流行り、ドルチェアンドガッバーナの香水がよく売れたとか。
そういえば昔恋をしていた人はヴェルサーチの香水をつけていて、かぐわしいその香りを漂わせながら前を歩かれると、ついふらふらと(行き先がどこであろうと)ついていきそうになるほどのセクシーさでした。
当時私はまだあまりにも小娘で恋愛に持ち込む勇気もなく、その人とは疎遠になってしまいました。
今は連絡先もわからないし顔すら曖昧だけれど、その香りを街中などでふいに嗅ぐとき、急に10代の頃が蘇ります。

こういう香りの記憶と同じように、昔のことが鮮明に思い出されるのが音楽。
先日車を運転しているときに聴いた山下達郎「FOREVER MINE」とノラ・ジョーンズの「Sleepless Night」には肩を掴まれる勢いで10年前に引きずり戻されました。
この2曲は江國香織の小説「東京タワー」を映画化したときの主題歌と挿入歌です。(映画自体は陳腐な不倫物語にまとめられていてものすごく不満。キャストもミスマッチ。)
ある男性(ヴェルサーチとは別人)に片思いしていたころによく聴いていました。
メールが来るたびに素手で心をわしづかみにされるようなキュンキュンを味わい、会うたびにまっすぐ顔も見れないような純情さでした。
今思えば胸をしぼられるような切なさは、若くて独身で、自信も基盤もなく、先の読めない不安定な関係に味つけされていたからこその恋心だったんだと思います。

一方で夫に対しての愛は、恋愛初期の電気が走るようなピリピリドキドキが徐々に少なくなり、代わりにお昼前の陽射しのような、穏やかで温かな感情に変わりました。
例えば不倫をすると、背徳感によるドキドキを味わえて毎日が刺戟的なんだろうけど、夫と一緒の空間にある居心地の良さは何物にも替えがたいものです。
こういう関係をリスクにさらしてまで、ドキドキしたい気持ちって全然理解できない。
たぶん夫も同じように考えていると思います。
それとも、この居心地の良さも何年も経つと消えるのでしょうか。。

そういえば、夫は香水をつけませんが首筋は何とも言えず安心できるいい匂い。
ついつい抱きついてくんくんしたくなるけれど、その度身体中まさぐられるので落ち着いてハグもできません。。