家族と私と本と。

日常のつれづれと読書の記録

出会いと別れと王子様

新1年生の娘の王子様は、同じ幼稚園だったAくん。
年少クラスのころから、泣いている子にそっとハンカチを差し出すような優しい男の子で、給食時や通園バスでは彼の隣の席をめぐってキャットファイトが繰り広げられるほど女の子たちから超絶モテモテです。
この度小学校へ上がるにあたり、お別れになってしまったことを悲しんでいた娘は中学校が同じだと聞いて気を取り直し、1年生が終わったら中学校に行けるのか尋ねてAくんのお母さんを困惑させていました。
我が子ながら一途だなあと感心して見守っていたのですが、一途なのか意地なのか測りかねるのが湘南の海の王子です。
あんなに長い文章で何を語るというのか。
全部きちんと読んでもらえると思っているのが厚かましい。
だいたい、一行目から“私と眞子様”とは、畏れ多いと思わないのが不思議。
眞子様眞子様で、自分の立場が全然わかってない。
おひめさまなんていうのは、結婚相手は周りに任せておくのがいちばん幸せになれる方法だと思います。
世間知らずで男性を見極める力もないくせに、変に自分で選ぼうとするからこんな事態を何年も引きずって世界中に恥をさらすはめになってしまって。
早めに別れていれば傷も浅くて済むし、海の王子なんていうよくわからない称号の人じゃなく、どこかの公国のプリンスか、それは難しくても世が世ならお殿様だったおうちの御曹司とでも結婚できたかもしれないのに。
いい例が高円宮絢子様で、私は結婚の報道があるまで彼女の存在を知らなかったけれど、お相手の守谷さんとの出会いのお話など拝見すると、さすが皇室の方の結婚という印象でした。
日本は上にいくほど階級社会だから、そこから逸脱して幸せになれるわけがないのです。
若い彼女には酷だし受け入れ難いかもしれないけど、税金で暮らし象徴の一族として生まれた以上、保証された生活とひきかえに自由はないのが現実。
それを受け入れた人が、絢子様のように今手の内にある中から幸せを見つけられるんだと思います。
“自分の恋人→夫選び”という視線ではなく、“皇室の義理の家族”としてふさわしいかどうかで配偶者を選んでほしいと一国民として切実に願っています。
今ならまだ間に合う!
皇室に払う税金は仕方ないけど、海の王子にお金をあげる義理はないんで。